※日記記事は株主優待が到着した時点で、到着したことだけを伝える目的で書いています。優待内容は後日順番に記事に書く予定です。到着内容の記事は原則として1日1社のみとしているため、場合によっては到着から数ヶ月遅れとなることもあります。

2026年8月12日(水)に届いた株主優待は以下(2件):

(166) [7434] オータケ/QUOカード1,000円:5月権利

ちょっと前のことだが、NISA貧乏が話題になったことがある。テレビの場合には、こういう人がいますよという話題提供や、こういう人生はいかがなものか、いやいやそれくらいしないと現代の若者は資産形成できないんだよと色んな人が個人の立場で侃侃諤諤議論することで視聴者に考えさせるということでいいことだと思う。でも、国会という場で議論するのはどうなんだろうか?これは悪いことだと決めつけて、どうするこうすると議論すべきことなんだろうか?ただ単に話題になっているから質問したというのは国会という場で希少な時間を浪費することだし、具体的に対策を立てる気がないのであれば相応しくないことだと思う。



違う貧乏がたくさんある。例えば「住宅ローン貧乏」。バブル期に話題になっていたようだが、あまり批判的なニュアンスはなかった様な気がする。住宅価格が上がった、庶民が夢のマイホームを手に入れるのは大変だという感覚で取り上げられていたのではないだろうか。頭金を貯めるため、あるいは住宅ローンを支払うため涙ぐましい節約をしているという美談風。少しでも負担を軽減するために住宅ローン控除など減税策が取られたが、住宅ローン貧乏をなくすべきとかいう抜本策を求める声はなかったような気がする。実際当時以上に住宅ローン負担は増えているし、東京一極集中は解消されていないし、住宅価格の高騰はインフレ率を超えている。

マイホームは個人の夢だし、家という資産が残っているという見方もできるが。住宅ローンを払えなくなると、即時返済を迫られてマイホームすら失う恐れがある。一方、NISA貧乏の場合には投資資産があり、これは住宅に比べて簡単に現金化できる。何にお金をかけるかというのは個人の価値観の問題であって、国や国会議員があれこれ批判する様なことではない。テレビのコメンテーターが個人の立場でもっと別のことにお金をかけた方がいいだろうというのはありだけど、住宅ローン貧乏にも同じ様に語らないと片手落ちだろう。家なんて賃貸で十分だから海外旅行など体験にお金をかけろという議論はテレビでやっているんだろうか?ホットな話題じゃない長期間づっと問題が継続しているから議論しても視聴率やアクセス数に結びつかないということだろうか?

他にもある。「パチンコ貧乏」「コレクター貧乏」「推し活貧乏」などなど。これらは絶対的な所得水準が低いため生活に必要なお金がない=貧乏ということではなく、ある程度の所得や資産があるが、それを特定のものに費やしているがため食費や教育費など生活水準を落としている結果の”貧乏”。結局、何にお金を使うのかという個人の嗜好の問題に過ぎない。そう言えば「生命保険貧乏」なんていうのもあった。一家の大黒柱が亡くなった後の家族の補償を充実させた結果、普段の生活が苦しくなる。「子沢山貧乏」「(子供の)教育費貧乏」「奨学金返済貧乏」なんてのは大事なことに支出したあまりの結果。それらの、どれよりもNISA貧乏は「いつでも容易に時価で換金可能な資産がある」という点において、はるかに問題が少ない。もちろん投資なんかしなくても老後の生活は安泰だという社会を目指すべきという主張なら、それもありだ。国会で質問した議員はどういう意図なんだろうか?その後の議論を追いかけていないのでよくわからない。